2005年8月22日月曜日

社会学*カフェ→それから

社会学*カフェ→それから
2005/08/22 Mon. 19:00~22:00(大淀南借家太陽2)

スピーカー:
山納洋(
SINGLES PROJECT) 
渡邊太(
社会学者・大淀南借家太陽2店主) 



山納:
 山納洋です。まず、僕がどんなことをやっているか、という話から入ります。僕は、大阪市北区扇町にある
扇町インキュベーションプラザ・メビック扇町の仕事をしています。一言で言うと、クリエーターのインキュベーションのための施設なのですが、その仕事を2003年からしています。その前は、扇町ミュージアムスクエアのマネージャーをしていました。

 扇町ミュージアムスクエアは、大阪ガスの古い社屋を活用したメセナ事業で、小劇場があって、ミニシアターがあって、カフェレストランがあって、ギャラリーがあって、雑貨店があってという施設です。そこが閉館になってからは、新しく大阪市の経済局が作った扇町インキュベーションプラザという施設の仕事をしています。

 2000年に、扇町ミュージアムスクエアで扇町Talkin' Aboutというサロンを始めました。中田君の
実験哲学カフェもそこから始まったものです。街のカフェであるひとつのテーマについて、関心のある人たちが集まって話をするというサロンです。700回くらいやってきました。最後のほうは僕はほとんどかかわっていなかったのですが、主催者がたくさんいて、町のそこここでサロンをやっていました。

 一時期10ヵ所のカフェやバーでやっていて、そのなかのひとつのお店、カウンターだけのバーが閉店するという話になったんですね。SINGLESというバーで、東通商店街のアーケードがきれたところの雑居ビルの2階にあったバーで、キムさんという女の子がひとりでやっていてTalkin' Aboutの会場だったんですが、そこが閉まってしまう。みんなで励まして何とかやろうと言ってたけれど、結局閉まってしまったんです。

 12、3席のカウンターだけのバーで、そのカウンターが微妙に角度がついていて、来た人どうしが顔を合わせるという構造になっている。その空間だけでも何とか残せないかという話をさんざんしたなかででてきたのが、日替わりバー。最初は曜日代わりで入ってもらうお店を考えていたのですが、声をかけたら30人くらい集まったんですね。そしたら、これ月1回だけ入る人が30人いたら回るんじゃないかと。お店の管理を近くのカフェのご夫婦にお願いしてやってもらう仕組みを作った。そしたら日替わりバーができるようになった。不動産を借りなおして、2001年5月、Common Bar SINGLESという名前で日替わりのバーを開始しました。

 その後2003年3月に扇町ミュージアムスクエアが閉館し、2003年4月にメビック扇町がオープンした。もともとやっていた劇場があり、映画館があり、カフェがあり、雑貨屋があり、という場所。表現をしたい人が集まる場所を一軒のカフェでやれるんじゃないか、と思い、日替わりのカフェという仕組みを作った。SINGLESの延長で、7坪のバーができたので、こんどは20坪のカフェをということで作ったのがcommon cafeでした。

 そういうわけで、サロン的な場を作ってきたのですが、きょうは社会学の話ということなので、社会学の話をすると、じつは僕は学生のときは社会学を専攻していました。あまりまじめな学生ではなかったのですが、環境問題について社会学の視点から考えてみようと。当時、長良川河口堰が問題になっていて、いろいろ調べた。官僚組織の問題や企業の営利性、市民運動のことなどを調べてそれで論文を書いたら、教授から「これは社会学じゃない」と言われて、喧嘩して卒業した。

 その後、仕事をするようになってから別冊宝島『社会学入門』とか読んで、自分の考えてきたことは社会学なんじゃないかと思うようになりました。社会学という学問は、ふつうの人たちがふつうに社会を見る見方を疑うための学問なんだ、ということを考えて非常に面白いと思った。たとえば少年犯罪が増えた、というニュースがあると、家庭環境の問題や教育の問題ということがいわれるけれど、たとえば昔に比べて警察が熱心に立件するようになっただけかもしれない。たとえばそういう見方が社会学。

 ウェーバーの資本主義論、マルクスの疎外論、レヴィ=ストロースの野生の思考など、社会学者がやっている作業は、本質的懐疑の方法だと思うんです。社会学者はいままで皆が見えていなかったものを発見する作業。疑ってみてその先に本質があるかもしれない、という考え方は、大学の勉強を通じて身についたかどうかわからないんですが。むしろ生活のなかで身についたのかもしれません。

 それから、ちょっと難しいんですが、ミクロ・マクロ・ループの話。人が集まって社会を作るわけですが、社会が発達すればするほど本来あるべき姿から離れて硬直化してしまう。本質的懐疑の方法で人間の側に社会を取り戻す。そうしないと非常に危ないんじゃないか、と。ミクロ・レベルで感じるギャップ。国家や行政などのマクロ・レベルと現場のギャップがある。現場から問い直すことで、マクロなものを自分たちの側に取り戻すことをやっていく。僕自身は、まったく人のためになっていない仕組みや施策が大嫌いで、文句をつける側なんですね。

 自分がやってきたことに関連させて言うと、これは前にべつのところで話した内容なので今日は簡単に省略して話しますが、扇町ミュージアムスクエアがなくなるってなったとき、これで文化の灯が消えるということがマスコミで散々言われたんですね。だけど、実際にそうだったのか、ということを疑ってみる。それって表層的なことなんじゃないか。実際、扇町ミュージアムスクエアと近鉄小劇場がなくなった後、大阪では劇場の数が増えているんですね。文化の灯が消えるといわれたけど、そうじゃないんですね。現場レベルでいろんな動きがあって、そういうことをきちんと検証していく必要があると思います。

 扇町ミュージアムスクエアが閉館するとき、この動きをSINGLES PROJECTと名付けようと。SINGLESという言葉はよくできた言葉で、個人が集まって何かをする、ということなんですね。扇町Talkin' Aboutは、参加者交流型のトーク・サロン企画。パリの実存主義者たちが語り合ったカフェのような。カフェ・ブームでおしゃれなカフェはいっぱいあったけど、ほんとうに人が出会って語り合えるカフェはあるだろうか。サロンは大阪で可能か、ということをやってみた。大阪でそんなもの根付かないと言われたけど、3人でも5人でもやったらいいということで始めた。

 やるにあたって、「反イベント」という言い方をしていたのです。この1年前に扇町ミュージアムスクエアでTALKIN' HEADSというトークイベントをしていて、演劇と映画のイベントはいっぱいあったのだけど、いろんなことに関心のある人たちがいるのに演劇と映画だけでいいのかなと思って。トークイベントだったら何でもできる。トークイベントだったら、プロレスのイベントでもべつにリング要らないですよね。そこで、演劇や映画にかかわっている人たちに、演劇や映画以外のことについて話してもらうイベントを始めました。

 これ、Talkin' Aboutと並走しながら20回くらいやってきたんだけど、どこかで意味と目的が変質してくるんです。最初は、この人にこんなことをしゃべってもらいたい、という形でイベントを組んできたのですが、どこかで経済性がかかわってきて、お店にいくらかの売上貢献しないといけないとか、ギャラも払えないと困るということになって、イベントの考え方がこの人呼んだら50人くらい来てくれる、ということになってしまった。

 僕らの考えてやりたかったのは、こんなんじゃないなと思うようになって。それで、Talkin' Aboutでは、もうこんなんで人が来るのかというような企画をどんどんやって、5人10人でやっていった。「反イベント」としてやったのは、もう3人集まればいいと。人数や売上をいっさい無視して、でもその3人が人生が変わるような発見があれば、それはそうとうに値打ちのあるイベントといえる。告知もいちおうやるんですけど、来なかったら3人でO.K.というふうにしちゃう。そんなイベントのつくり方でやってきた。実際のところ、かつてのヨーロッパのサロンみたいになったのか、なっていないのか、よくわからないままなんですけれども。最近ちょっとまたべつのことを考えているので、Talkin' Aboutは下火なんですけどね。

 Common Bar SINGLESとcommon cafeは、いま、お店を開業するのが大変な時代になっていて、借金を抱えてやるのとは違うお店のかたちを試みています。起業メセナ、行政の文化政策も縮小されている。だったら、自分で家賃払った上で好きなことをやる仕組みが必要になるという話。お茶やお酒を売って家賃を払うスキームを作ったうえで好きなことをやる。

 扇町ミュージアムスクエアをずっとやってきて、さいご終わるときに皆さんに華々しく言ってもらって終われたんですが、どこかで行き詰まり感もありました。演劇なら演劇の人だけが集まるんですね。映画館に来る人は劇場があることを知らないとか、演劇が好きな人は来るのだけど、それで社会が変わるわけではない。ほんとうにいま何かを考えている人が集まる施設になっているのかな、という疑問がありました。

 その頃、堀江や中崎町で一軒のカフェなのにイベント、ライブ、お芝居までやってるようなところが出てきてた。僕らが企業メセナで年間数千万円持ち出しながら維持していた扇町ミュージアムスクエアに対して、この人たちが家賃を払いながら雑貨店やカフェの形態だけど、じつは複合文化施設として機能しているところがある。雑貨店なのにお芝居もしている、というところがあったんですね。これからの複合文化施設は、こういう形になるんじゃないかという気がしています。

 プチ貿易振興事業団は、海外で雑貨を買い付ける個人バイヤーの仕組み。お店をしないとバイヤーになれない、とふつう思うんですが、仕事で海外に行ったときに蚤の市で雑貨を仕入れてくるのを個人でするというやり方ができるんじゃないかと。海外で雑貨を買い付けてきて卸す、という活動は、編集作業に似ているんですね。ネットオークションなんかを利用して、実際にやっている人たちがいて、その情報交換会として機能している。僕はほとんど何もしていないんだけど。雑貨の買い付けは、表現行為としての意味をもっている。そういうニーズが世の中にあったんだろうなという企画です。

 それから、ドミトリー計画。これは、まだやってもいない企画なんだけど。そのうちにやれたらやりたい企画です。
SUMO BACKPACKERSという、中津で10人だけ泊まれる宿を奥田さんっていう女の子がやっていて、1泊2500円で泊まれる。大阪で安く泊まれるのは、ここか、あとは新今宮のドヤ街みたいなとこだけなんですね。

 ドミトリーはうまくやれば、世界中からの情報を集めることができるスペースとして使える。リビングでビールを飲めるスペースがあって、日本に来る若者が何を求めているか、ということをじかに聞くことができる。そういう人たちと話をしていると、大阪に何が必要かということがわかる。マーケティングチックですが。
国際集客都市といっているのに、的外れなことになっている。ドミトリー1軒あれば、十分に情報を集められる。だからやりたいなと思っているけど、手が回らない現状。

 昨今いちばんやっているのは、六甲山カフェです。六甲山は、近代登山の黎明にもかかわるいい山なんだけど、中高年の人たちがほとんど。むかしは、合コンじゃなくて合ハイっていって、男女でハイキングしていた。いまの若い人は山に登らなくなっている。六甲山みたいな山が近くにあるのはとてもチャンスなのに、チャンスを活用しきれていない。

 ここは茶屋が20軒くらいあるんだけど、このままいくと後継者がいなくてつぶれていく。common cafeをやっていて思うのは、カフェしたい女の子がすごいたくさんいる。だけど、みんな街中でやろうとするから過当競争になるのだけど、それだったら六甲山で中高年の人たちを相手にやってみると面白いんじゃないか。世代を超えるというのがなかなか難しくて。六甲山カフェというかたちだったら、それも可能なんじゃないか。

 ずいぶん長くなりましたが、僕自身は学者ではないので、本質的懐疑の方法としての社会学という認識をもった上で、実際にものをつくる、プロジェクトを興して人を巻き込んでいく、ということをやっていく。ミクロ・マクロ・ギャップみたいなものを個人が無理しないレベルから変えていければいいなと考えています。社会学とカフェでいうと、人と人とが出会う場所をどう作るか、ということに関心があって、そのためにはカフェは有効な場所なんじゃないかなと思います。18世紀のコーヒーハウスみたいに。世の中のお洒落カフェブームからのギャップをどうやって埋められるかなと考えています。

★ ★

渡邊:
 太陽2の渡邊です。社会学の仕事をしながら、主に週末だけここのカフェを運営しています。太陽2というふうに名前に2がついてますが、もともと
太陽というカフェがあって、メグさんという女の子がひとりで切り盛りしていた。彼女が故郷に帰ることになって、今年2月に閉店。その話を聞いたのが去年の秋頃。

 僕は客として来ていて、来ているうちにここで
「ややこし研」 という市民研究会的なイベントをやるようになりました。きょうのイベントの枠組もその「ややこし研」なんですが、大学以外での活動の拠点みたいに使わせてもらっていた。それで、店がなくなるのは残念だと思って、僕があとを継げばスムーズにいくのかなと思った。非正規雇用の社会学者で不安定な立場であるのだけれど、そのぶん自由度もあるから。

 ともかくこの場所を残そうと思って、最初考えていたのはもっと散発的に、月1回とかのイベント的に場を設けるという形でだったらできるかなと思って。3月に引っ越してきて4月からオープンした。太陽2をするにあたって、妖精や高橋君や石居さんがボランティア・スタッフとして手伝ってくれることになって、それだったらもうちょっと頑張ってできるかなと話し合いを重ねながら考えて、ひとまず週末、開けられるときだけ開けるということでやってみた。

 当初の予定よりも頑張ってみたのです。そうして実際にやっていくなかで、社会学の仕事とカフェの場を運営していくことが案外につながっているんじゃないか、と思った。思ったというかね、つなげようと意識的に考えてみた。

 社会学の領域のうちで僕が関心をもつところは、たとえば、社会的現実ということ。現実というのは、あらかじめ客観的なものとしてあるのではなく、人と人とのかかわりのなかで構築されるもの。たとえば、トイレットペーパー騒動みたいに、根拠のない噂が現実を変えてしまう。嘘から出たまことみたいなね。現実というのは、人がどのように世界を認識してどう動くか、ということによって変わってしまう。

 社会的な現実は、人間が作るものだけど、だからといって自由に思い通りに変えられるわけではない。みんなが望むことが一致していたとしても、そのとおりにならないことがある。何が現実であるか、という枠組みは、可能なことと不可能なことの境界を設定するんです。それは非現実的だ、という言い方は、それは不可能だ、という言い方なんですね。そこのところで、可能性と不可能性の線引きを動かしてできるだけ可能なことの範囲を広げていく、というのが社会学の考える自由の問題ということだと思います。

 それから、共同性と敵対性の問題。これは、僕がカルト宗教のフィールドワークをしながら考えてきた問題です。単純に言うと、カルト的な集団凝集性・共同性というのは「敵」の存在を媒介としている。あいつらが悪い、という敵を特定して、その上でその敵を否定する。あいつらさえいなければ、理想社会が実現するはず、という思考法ですね。集団をまとめあげるのに、それがいちばん手っ取り早い。

 僕が調べたなかで、カルト宗教と、それからカルト宗教の反対運動、反カルト運動というのがあって、両者が敵対している構図があります。いずれも相手を敵とみなしていて、真っ向から対立している。そのことによって集団内で共同性が手っ取り早く成り立っているのだけれど、それは非常に何と云うか閉じた共同性なんですね。

 閉じているということに二つの意味があって、敵に対して集団内で閉じているということがひとつと、それからもうひとつは、集団構想で敵対しあいながら、その敵対する集団どうしがカップリングしてひとつの社会環境をつくっているのです。そこには出口がない。敵対者を含むカップリングとして閉じてしまうという構造です。こういう共同性のあり方は、とてもしんどいものです。そこで、どうにかして他のかたちで、すなわち敵をつくらないかたちでの共同性というのを社会のなかでどうやって作っていけるだろうか、というようなことを考えていました。

 共同性、あるいは連帯ということに関して、そもそも社会学が誕生した19世紀末においては、ヨーロッパにおける社会解体の危機的状況のなかでいかにして個人の自由と両立するかたちで社会秩序を維持できるか、という問題関心が強くありました。デュルケームは、道徳意識は集団の基盤がないと成立しないという考え方をして、全体社会と個人の間をつなぐ中間集団的なものが必要だと提言しています。

 この問題関心は、たぶん現在でも十分にアクチュアルなもので、僕らの社会でも共同性や連帯の仕方というのがどうやればいいのか、まだよくわからないままでいます。そこで大切なのは、個人の自由を否定しないようなやり方なんだと思います。

 というようなことを社会学の研究のなかで考えてきて。それで山納さんも言われたように、当たり前と思っていることを疑ってみるという視点ですね。それは、つまりいまある選択肢を自明視せずに、べつの可能性を考えることだと思います。現状に対するオルタナティヴを見出していく。それが認識の自由度や行為の自由度を高めることにつながっていくんだと思います。

 さて、現状に対するオルタナティヴということでいうと、当然社会学者自身のあり方についてもオルタナティヴを考える、ということに必然的になっていくわけで。社会学者のオルタナティヴって何なのかと言うと、社会学が制度化されて大学のなかにポジションを得るようになってから、基本的に社会学者が食べていく方法は、大学に所属して専任教員として教育と研究の仕事をするというものなんだけど。ただ、社会学業界的に現在大学院生の供給過多の状況があって、僕らも博士号をとって大学院を出た後、非常勤講師であちこち行きながらかろうじて食ってるという不安定な状況にあります。大学の経営不安定化というのもあるし、大学のなかだけで社会学の仕事を探すというのは難しくなってくるかもしれない。それならば、大学以外のところで何か社会学の仕事を活用していくような方法はないのだろうか、と。社会学者としてのオルタナティヴになるんかな。

 そういうのを考えるようになったきっかけが、去年。recipというアートのドキュメントに関するNPOに、ひょんなことからかかわるようになりまして、去年の9月に
NAMURA ART MEETINGというイベントがあったのですが、そこでrecipが記録を担当する。映像で記録する、シンポジウムで語られた内容をテキスト化して注釈をつけて読めるようにする、といったことと、それから社会調査のメソッドを使って記録するという試みで、僕らはその社会学の仕事の部分でかかわりました。

 僕が担当したのは、ユーザー・リアクションといって、イベント来場者へのアンケート調査とインタビュー調査、それからボランティア・スタッフへのアンケート調査です。そこでボランティア・スタッフの人たちといっしょにリサーチを設計して実施するなかで、ひとつ見えてきたのは、社会学がコミュニケーション・ツールとして使えるのではないか、ということでした。アートのイベントでのリサーチは、単に研究者の研究関心にしたがって客観的にリサーチするということを目的とせず、たとえばお客さんとして来られた人たちに意見表明の場を提供することで、もう一歩踏み込んだ参加者になってもらう、そのためのツールとして社会調査のメソドロジーを利用する、ということを考えました。

 そうすると、社会調査というのが単なる調査方法ではなくて、コミュニケーションを促進するツールとしての意味を持つことになるわけです。これは僕にとって面白い発見だったし、そのあたりから社会学の使い方に関して、大学の中で研究するという以外のやり方もあるんじゃないかと考えるようになりました。また、太陽で開催していた「ややこし研」という市民研究会、太陽が閉まるときに作った『大淀南借家太陽誌』という冊子なんかも、社会学の活用ということを考える上で役立ったと思う。それと、『大淀南借家太陽誌』を作ったことで、太陽という場所の意味をあらためてじっくり考えてみたんだと思う。それで継ぐことになったんかな。

 そんなこんなでカフェすることになって。社会学の関心と社会学者として生きていく方法のオルタナティヴを考えるということとの延長線上に、これは後からつながっていることに気づいたような感じなんだけど。しかし、カフェをするにしても初期資本を準備してきっちりと、というふうに考えるととてもできなくなってしまう。だから、ひとまず手持ちの材料でできる範囲で、というふうに考えてやることにしました。

 鶴見俊輔を読んでいると元気が出るのですが、ともかく実験的にいまあるものを使ってやってみることが大事なんだと。たしかにやってみると案外どうにかなるものなのかもしれないなあと、やりながら思うようになりました。だから、カフェといってもふつうのお洒落カフェではけっしてないし、ここはいったい何なんだろう、どう呼ぶのが適切な場なのかなというのをずっと考えていて、コミュニティカフェとかオルタナティヴカフェとかいろいろ言い方を変えたりしてきたんだけど、さいきんは「草カフェ」と言ってます。

 草カフェというのは、草野球とか草競馬の草で、草野球だったらべつにユニフォームを揃えなくてもできるし、道具もありあわせのもので、バットがなくても棒切れを使えばいいし、場所が狭ければ三角ベースにすればいい。ルールさえ変えたりするんですよね、草野球だったら。楽しむためにルールまで変えてしまうという自由度が草という概念には含まれている。

 もうひとつ、これも比喩でさいきん気に入ってるのが「島」という言葉。ここの場所って島っぽいんですよね。都市の中心が海だとすると。梅田の中心地のあたりは、人が流れてお金も流れて資本が流れる海流の激しい海みたいなところで、そこからちょっと離れたところに孤島があるみたいな。それで海で溺れかけた人がたどり着いて生き延びる、生きながらえる、そういう場所であればよいなと思って。

 たとえば、中崎町の
「天人」もそういう意味では島っぽくて。都市のなかにそういう島的な場所がいくつかあれば、島と島との間に連携が生まれて、しだいに群島化していく。そうすると、都市で生活していくということがもうちょっと楽になる、楽しくなるんじゃないかと考えています。

 最後あとこれだけ。そうして太陽を4月から始めて、どうにかこうにか週末だけやっていく体制でここまで来ました。じつはこれまで非常勤の講義の仕事だけだったんだけど、7月から大阪大学の法学部で研究員として働くことになって、週末以外ずっと9時~6時で出勤しないといけなくなって、平日働いて週末カフェという休みなしの状況になって、7月と8月はそれで試みてみてどうにか乗り切ったのだけど、秋から体制を考え直す必要があるかも知れない。

 そこで思うのは、どうにかしてここで食べていけるシステムを作れないかなあということで、やっぱり経済的にはきついんですよね。体力的にもいまのままだときついし。ただ、食べていけるシステムといっても、拡大再生産的に売上だしていってってやると、根本的に経営の仕方を変えないといけないだろうし、そうするともうここの場じたいが別ものに変質してしまって。それじゃああかんので、経済的に給料が支払えるようにするという以外での食べてくシステムとして、たとえば食事コモンズ的に、いまボランティア・スタッフで入ってもらってる人は、みんな給料が出ないんだけどその代わりに晩ごはんを食べてもらっているんです。5~6人分の食事だったら、100均ショップと業務用スーパーを使えばそれほどお金をかけずに作ることができます。それに、お金をかけずに5~6人分の食事を作るのって、ひとつの技術になるんですよね。分量の目安とか、手際と手間とか、そういう技術をここのスタッフみんなが取得すれば、いざというときに少なくとも食事だけに関してはここでどうにかできるような、そういう互助組織みたいなかたちですね。昔の講みたいに、ローカルなレベルですけどやっていければよいなと考えています。

 まとめると、そうですね、僕にとっては、社会学での関心と社会学者としてどうやって生きていくかということの問題関心があって、それがカフェという場を運営していくこととつながってくるという感じになるのかな。えーと、ひとまず、以上です。

★ ★ ★

山納:
 いま渡邊センセイの話を聞いていてよく似ているなと思ったのは、どちらも女の子が1人でやってたお店が閉まるというときに、それをなぜか引き継いじゃったんですね。僕の場合は、SINGLESというバーのキムさんのあとを継いだ。そのキムさんがいってたのは、お店をやっていく上でしんどいのは、ずっとそこに居なきゃいけないということなんですね。お店をもつと自分がつねにそこに居ないといけなくて、来るか来ないかわからないお客さんを待ちながら準備している、というのはけっこうしんどいことなんですよね。自分もどっかに出かけたいし、友だちに会いに行ったりもしたいんだけど、それができなくなってしまうんですよね。

渡邊:
 うん。それはあると思う。前の太陽店主のメグさんもそれに類することを言ってました。動けないというのが何よりもしんどくなってくるんですよね。僕も、いまは平日ずっと大学へ行って週末はここで店番をしているから、もうほんとうに休日という意味でのオフがなくて、だいぶ疲れてきました。ボランティア・スタッフで入ってもらうときも、基本的に僕も店番としていっしょに入って仕事を分担するということにしているんですが、仕事の要領もだいたいわかってきたし、これからは店番まったく任せてしまって外に出ちゃってもいいかなと思っています。

山納:
 僕は、Common Bar SINGLESもcommon cafeも基本的には自分が常駐しないということに決めています。さいきんはもう言うだけの人になろうと思っている。こうすればいいとか、ああしたらいいとか言って誰かがそれを実現してくれるように。Common Bar SINGLESをやるときに、予想以上に人が集まってくれたんですね。自分でお金を払ってまでも、バーをやりたいという人がこんなんにいたのか、と驚きました。お店をする場合、バーだったらカウンターのこちらと向こうという近さで向き合っているにもかかわらず、こっちと向こうじゃ背負っているものがぜんぜん違うんですよね。客として来るのは、いくらかのお金を支払えばそのスペースを利用することができる。その一方でお店をする人は、家賃を払って経営をやりくりして、移動の自由と時間の自由が制限されて、というふうにものすごくたくさんのものを背負わなければならない。その非対称性をどう考えるかという問題もありますね。日替わり店長方式というのは、その空間を維持するリスクを分散することで、経済的にも成り立つ仕組みとして成り立っています。

渡邊:
 こういう場所があると、そこで思いついたことができちゃうんですよね。カフェだとまったくのプライベートな空間でやるのとは違って、パブリックにオープンな場としてやることができる。そうすると、状況の完全なコントロールというのは難しくて、不確実性がどこかで残ってしまうんだけど。いま、不確実性の方法論ということを考えているんです。不確実な状況で動くための方法論。手探りの状況でどう動くかっていうことって、ある程度は方法論として確立できないだろうかと。

山納:
 いまの仕事をするにあたって、社会学のフィールドワークの視点というのがとても有効であるように思います。ある集団の規範や価値観というものを観察することは、フィールドワーカーの視点です。カフェの場合でも、マーケティング的なことを考えるときに本質的懐疑という社会学の方法を活用している。自分でフィールドワークやってるなあと思うことがある。

渡邊:
 どちらかというと、僕はカフェに関しては観察者というよりも、もう一歩踏み込んでいる感覚があるかなあ。オルタナティヴな価値観にもとづくアクションを実践している。だから、観察するにしても、どうすれば変えていけるか、というような変革のための観察であって、客観的な観察者のまなざしではない気がします。

山納:
 ここは、社会の変革という話をしてもいいんかな?

渡邊:
 大丈夫ですよ。みんなサヨクだから(笑)。冗談ですよ。

山納:
 ほんのちょっと、意識の持ち方を変えるだけで社会が変わる、ということがあると思います。社会って、もともとは個人が集まって、それぞれにやりたいことがあってこういうふうにやっていこうと思っているんだけど、それがマクロのレベルになったときに、当初のものとは違ったことになってしまう。ミクロな現場レベルのことが機能しない仕組みができてしまっている。

渡邊:
 現実の枠組を変えるというか、現実の概念を変えることが必要なんですよね。

山納:
 レモンティーの話でね。高校生のとき、駅の売店でみんなでレモンティーを買うというイベントをしたんですね。15人くらい連続で、みんなレモンティーくださいって行ってくる。だんだん売店のおばちゃんもおかしなって笑いがとまらなくなってるんですね。それでも次々と来る。それはとても面白かった。これって、誰でもできることなんですよね。

渡邊:
 いいなあ、楽しそうやなあ。

山納:
 誰でも何かの表現者になれるんですよね。Common Bar SINGLESもcommon cafeも、カフェというかたちで自己表現する場になっている。お酒やご飯を自分で作るということがひとつの表現になっている。プチ貿易振興財団も、自分の視点で雑貨を選ぶというかたちでの表現です。

渡邊:
 文化の受け手や消費者の側にとどまっていた人たちが、そうではなくて自分も何かをしてみる、文化を発信するという立場になっていく。ちゃんと資本を投じてお店を構えてでないとカフェはできない、という状況ではなくて、それぞれが自分の手持ちの材料でやりくりして草カフェみたいなのがいろんなところにできていく、というのは楽しいと思います。ただし、そこで山納さんはクオリティということもおっしゃってますよね。そこのところは、どういうふうにつながりますか。

山納:
 common cafeの場合は、昼間はお洒落カフェに通うような女の子たちが来ても十分に満足する水準に達するように考えてやってます。夜はまたちょっと違って、サロン的な場としての意味が強くなるんですけど。カフェとして家賃が払える仕組みをしっかりと成立させることで、いろんなことができるようになる。でも、ごはんがおいしかったとか、お洒落だったという以外のクオリティというのもあると思います。たとえば、修学旅行に行って帰ってくるときって、どうしてあんなに寂しいんだろうって思うんですけど。みんなで修学旅行に行ってとても楽しい。そういうかけがえのない経験をして、あーよかったっていう感覚。それをカフェに行って経験できることがあればすばらしいと思うんです。あのカフェに行ったことで、自分の人生が揺さぶられるような出会いがあったとか、かけがえのない経験ができる、そういう場所。「天人」だったら、ひょっとするとそういうこともありそうな気がするんですよ。

渡邊:
 確かに。うちもとくにそうだけど、経済合理的なというか消費社会的な基準でのクオリティでいうと、その部分で洗練させるというのはとても難しい。経営的にも困難だし、身体が足りない。一般的にいわれるカフェのクオリティとは異なるクオリティの基準を僕らはまだ明確化できていないんですね。

山納:
 芸能というのを考えたとき、かつては、伝統社会では歌を歌うとか踊りを踊るとか、芸能をする専門の人がいたんじゃなくて、年に一度の祭のときに、ふだんは生活のために働いている人たちがそのときだけ芸能に携わる。芸能を生業とする専門の人がいたわけじゃないんですね。カフェをしたい人が増えているといういまの状況は、もしかすると芸能がそれを専門にする人のものではなかった状況にもういちど戻ってきたということなのかもしれない。もともとは、みんながやっていることだった。そのなかから、ごはんを作るのが上手な人がいて、ごはんを作るのを任せたい人がいて、そこで分業が成り立っていく。そうやって仕事としてカフェをする人が登場するんだけど、それがまた戻ってきた。表現したい人が増えているのを実感します。

渡邊:
 ただし、伝統社会の場合、みんなが芸能をするということの前提として、生活の場での共同性が成り立っていたということがありますよね。いまは、それが個人化したままであるのかもしれない。

山納:
 それはあるかもしれません。夜、common cafeにいったとき、15人ぐらいのグループがいて、階段を降りて入っていくとき、みんながいっせいにこっちを向くことがあるんですけど、とても居心地が悪くなるんですよね。入ったらあかんのか、みたいな感じを受けてしまう。そうなると、人が交わるサロン的な場ではなくなっている。

渡邊:
 大学での仕事をしながらカフェをやってると、体力的にはしんどいけど気分的には楽になったかなという気がします。自分の拠って立つところがひとつしかないと、それにしがみついてしまうんですよね。とくに、僕らややこしいのは、非常勤講師という中途半端な立場で、専任の大学教員ではないけど社会学者として仕事をしている。不安定な立場です。社会学で予期的社会化という概念があるんですが、役割に執着する人っていうのは、その役割をすでに得ている人ではなくて、その役割を得たいと望んでいるけどまだ手に入れることができないでいる人なんですね。本物のヤンキーよりもヤンキーに憧れる少年のほうがヤンキーっぽい恰好をする、とかそういうことなんですけど。それでいうと、社会学者になりきれない社会学者は、社会学者という立場にしがみつくことになってしまう。それってとてもしんどいことなんですね。カフェを運営することになって、カフェ店主という役割をもつことで、何かとても楽になったというのがあります。

山納:
 それはわかるような気がします。逃げ場じゃないんだけど、一方があることで他方に強みができるようなことがあって、僕はインキュベーションの仕事で起業を支援しているのですが、Common Bar SINGLESやcommon cafeをやっていてよかったと思うのは、それがないと起業していないのに起業支援の仕事ができるのか、ということになるんですよね。自分でやっているというのが強みになる。それで、社会学に関していうと、僕は社会学の本質的懐疑の方法が、現在の社会を見ていくための有効な方法になっている。

渡邊:
 社会学の研究とカフェの場を運営するということが、けっこう近づいてきたような気がします。未来につながるかな。

(了)

2005年5月28日土曜日

学会報告「拠点としてのカフェ」抜粋

 民間コミュニティセンターとしての「太陽2」が多中心的なネットワーク のひとつのターミナルとしてどこまで機能できるかはまだわからないが、複数の諸関係、複数の意味形成、複数の相互矛盾のうちのひとつとして存在することじ たいに、それなりの意味を見出すこともできる。それがなければ集まるはずのない人が集まる場として、カフェが役に立てるかもしれない。 
 気兼ねなく人に集まってもらうために、カフェという形式は適している。自宅を開放して民間コ ミュニティセンターといってみても、ふつう気軽には訪ねられない感じがするが、カフェならば貨幣を媒介とした交換を仲立ちとするので、「お邪魔します」と いう負い目がいらない。G. ジンメルの貨幣論のいうように、貨幣のもつ分離と結合の機能がちょうどよい具合に作用する(ジンメル『ジンメル・コレクション』筑摩書房、1999年、 270~271頁)。 
 しかし、カフェを運営してみたいと思う人はたくさんいても、実際にやってみるのは難しいよう に思えてしまう。最初の目標設定が高すぎると、始める前にあきらめてしまう。このへんからこのへんの間でやっていければよい、というおおよその枠を全体と してゆるめたところから始めればよい。 
 「太陽2」の場合、週末営業に限定してしまうとか、副業として経営上のもうけを余り気にしな いとか。あるいは、お茶やコーヒーの入れ方にしても、事前にスクールに通ってというわけでもなく、店を始めてから、人づてにカフェ経験者を紹介してもらっ てお茶の入れ方、コーヒーの入れ方を教えてもらった。あり合わせの資源を使って、できる範囲からやっていくという方法で、やってできないことはないものだ ということがわかった。 
 鶴見俊輔は、「下町シンポジウム」で次のように発言している。 
 
 高橋幸子さんという方が書いていたことで、私はとっても感心したの ですが、「草」のつくものは全部いいというんです。まず「草野球」でしょう。これは寺山修司の有名なテーゼですけれど、見知らぬ二人の少年が焼跡にやって きて、一人がボールをもっていたらキャッチボールがはじまる……(鶴見俊輔・小林和夫編『祭りとイベントのつくり方』晶文社、1988年、82頁)


 「草」のつくものは、公認されたものではないけれど、手近にあるあり合わせのものを使って楽 しむために行なわれる。あり合わせで間に合わせるから、どんな状況でも融通をきかせられる。 
 それでいうと、「太陽2」は「草カフェ」のようなものと思う。拡大再生産を目指す経営をきち んとしようとすると、クリアすべきハードルが高くなりすぎる。営業面での枠組をがっちりと固定すると、気楽に草カフェというわけにもいかなくなる。枠組を 厳しく設定することによる困難は、経営面だけでなく理念の面でもあらわれる。たとえばコミュニティとかアソシエーションという理念を過度にまじめに考えす ぎると、草カフェ的な気楽さが失われる。草カフェのよいのは、草野球のように、それをすること自体に楽しみがあるからで、共同性の構築はその副産物として 生まれてくる、というくらいの息抜き加減(枠組における“あそび”の部分)がちょうどよい。 
 何かをしようと考えたとき、それでもうけられるかどうかという部分でのハードルの高さ、技 術・能力の部分でのハードルの高さ、理念の部分でのハードルの高さ、いくつかのハードルがあるけれど、「草」というふうに考えると、低いハードルからでも ひとまず始めてみることができる。そして、始めてみてから考えればよいことというのは、案外に多いのではないか。そんなことはないのかもしれないが、いず れにしても「草」という言葉を付けて考えてみることで、「できること/できないこと」の編成が変化する。まじめに考えるとできそうにないことでも、「草」 だったらできる、というふうに。 
 不可能なことよりも可能なことがたくさんある方がよい。だから、可能性の幅をできるだけ拡げ ることができれば、それで十分に意味がある。鶴見俊輔のいい方でいうと、「部分が自由に活動できるようなかたち」である。そうした部分の自由度を許容する かたちが文化としてまきちらされていく。 
 

 文化は何かによって、まきちらされているところのものである。まき ちらされることなしに、各人のたましいの中に、自然にしっかりと育つものではない。 
 文化は、まきちらされるものであるが、文化が特別の所にあらかじめあって、次にそれが、 まきちらされるのではない。文化は、実は、それがまきちらされる手続きを含めて、はじめて文化となるのだ。文化はまきちらされることによって文化となるの だ。その文化が、また新しくまきちらされる事によって、文化の更生と存続が行なわれるのだ(鶴見俊輔『鶴見俊輔集6 限界芸術』筑摩書房、1991年、 82頁)


 何もまきちらされないような状況は、おそらく息苦しい。「草」でもいいからとにかくまきちら されていくことは、文化という言葉に内実を与える意味をもつのではないだろうか。雑多な場から雑多にまきちらされるような可能性は、ないよりもあった方が よい。 
 以上、こういうカフェもある、という報告。


渡邊太「拠点としてのカフェ―「天人」と「太陽」―」 
第56回関西社会学会大会(2005/05/28)

2005年4月1日金曜日

カフェ太陽2の説明


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 かつて、「大淀南借家太陽」という民家カフェがありました。太陽は、JR大阪駅、阪急百貨店、阪神百貨店が位置する辺りを梅田の中心地とすると、その中心地からJR貨物場を越えた西側の大淀地区に位置します。大淀地区には、空中庭園のある梅田スカイビルがそびえ立っていて、太陽はちょうどそのふもと。道路一本隔てた南側にある民家で、ひっそりと運営していました。ふだんは、ゆっくりとお茶を飲むスペースとして、また、時折のイベント事のときには適度に賑わい場所として機能していました。
 しかし、平成17年2月に、太陽は閉店してしまいます。店主の事情もあって店を閉めることになったのですが、その後、場所がなくなることを惜しむ声が出て、それならば、ということで太陽をよく利用していた数人で場所を維持・存続していこうという話になりました。そして、「大淀南借家太陽2」としてリスタートしたのでした(平成17年4月)。
 太陽2は、カフェですが、たとえばスターバックス・コーヒーをカフェと呼ぶならば、その意味でのカフェとはだいぶ違っていて、ふつうに太陽2を訪れるとたいていの人はその空間が余りに民家そのものであることに驚きます。つまり、カフェっぽっくないのです。
 また、太陽のときは週5日間営業していたのですが、太陽2はさしあたって週末のみの営業でやっています。共同運営者みな平日べつの仕事をしているので、無理して過労になるのもよくないので、できるところから始めようということで、週末のみの営業ということになりました。週末カフェ太陽2。
 借金して店舗を構えて、というふうに考えるとカフェを運営するのはたいへんですが、とりあえずできるところからできる範囲で、というふうに考えると、できなくもない。DiYカルチャーという言葉があります。Do It Yourself. 90年代以降、消費主義的文化に対するオルタナティヴとして浮上した文化的運動ですが、日本語に直すとこれは「草」に相当するのではないかと思います。草野球とか草競馬という意味での「草」。草野球の場合、バットがなければ棒切れで代用すればいいし、場所が狭ければ三角ベースでよい。楽しむために手持ちのものでブリコラージュ。ときにはルールさえ変更する自由度。それでいうと、太陽2は草カフェみたいなものだと思いました。草カフェ太陽2。
 人が集まる場所を作る、という社会学的実験でもあり、草カフェとして気楽にやっているということでもあり。できるかぎり、わけのわからない場所として。